鹿島臨海鉄道の歴史のページ

 国鉄(当時)や茨城県等の出資する第3セクターとして鹿島港を中心と
する鹿島臨海工業地帯の鉄道貨物輸送を担うべく1969年(昭和44年)
に発足しました。1970年(昭和45年)11月12日に、「北鹿島(現鹿島サ
ッカースタジアム)−奥野谷」が開業しています。               
 また、同じ日に国鉄(現JR)鹿島線の「鹿島神宮−北鹿島」の区間も開
業しています。                                  

 その後は、貨物専業の鉄道として営業を続けていましたが、1978年、
(昭和53年)7月25日、「鹿島港南」駅を設置し、国鉄鹿島神宮駅との間
で、国鉄から購入したキハ10系気動車による旅客営業を開始しました。
  これは、当時パイプライン建設の遅れから鉄道を使用して行われてい
た成田空港のジェット燃料輸送に対する見返り事業として行政主導で行
われたもので、開業一ヶ月での1日の平均乗車人員が50人弱、乗客0の
列車さえあるという「空気を運ぶ」様な状況だった様です。         

 この旅客営業は1983年(昭和58年)11月にパイプラインの完成によ
り終了しますが、1985年(昭和60年)3月14日に「水戸−北鹿島」に建
設が進められていた「鹿島新線」の事業主体として、この路線を国鉄に代
って「大洗鹿島線」として引き受け、再度旅客営業を開始しています。  

 現在は6000形7両・8000形7両の計14両の旅客車と機関車3両を
擁し、大洗鹿島線・臨港線の2線を運営する、県内有数の民鉄となっています。
 少子化による通学利用の減少などで、ひと頃よりは旅客人員輸送の実績は
悪化しており、旅客車両の削減・ダイヤの整理などが実施されています。 

 


 

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