車両番号
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車両画像
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記 事
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キハ205
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1997年入線の元水島臨海鉄道キハ210、その前は国鉄/JR西日本のキハ20524(キハ20のラストナンバー)。別機関駆動の冷房装置を搭載。ファンには人気の国鉄色(朱/クリームのツートン)の塗装を纏う。2024年秋の引退が発表された。
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キハ3710−01
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1994年、茨城交通があのケハ601以来、実に30余年ぶりに導入した新潟鉄工製の待望の新車ももう導入から30年になります。新潟鉄工の標準型気動車であり、類似車両は全国に存在しています。入線当時は1両のみということもあり、在来車との混結での運用がなされていました。
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キハ3710−02
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1998年に増備されたキハ3710の同型車。利用実績を反映してか運転席窓上への雨樋の追加等の小変更が行われ、それは−01にも適用されました。本車両の導入でキハ3710が2両体勢となったことで、基本的に2運用のうち1運用に同形式が重点的に投入されることになり、在来車との混結の機会が激減しました。新型車は、その馬力を買われてか、新車入線時やその他の車両の回送時に牽引車として利用されることがありましたが、勝田駅のJRとの渡り線は撤去され、車両の搬入はトレーラー等による陸送になりました。
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キハ37100−03
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2002年に増備されたキハ3710の発展型。半自動ドアボタン等が設置されています。新潟鉄工に縁の深い茨城交通でしたが、同社としては最後の新潟鉄工製気動車となりました。
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キハ11−5
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旧型車の置き換えのため2015年に導入された車両。元JR東海のキハ11−123。2024年現在、イソザキ自動車工業のラッピング車となっている。
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キハ11−6
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旧型車の置き換えのため2015年に導入された車両。元東海交通事業のキハ11−201。湊線登場時のオレンジ帯の塗装を纏う。
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キハ11−7
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旧型車の置き換えのため2015年に導入された車両。元東海交通事業のキハ11−202。クリーニング専科のラッピング車。
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ミキ300−103
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2009年に導入された車両。元三木鉄道の同番号車。2024年秋の引退が発表された。
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キハ111
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1980年に真岡機関区から入線した、元国鉄キハ1119。1995年11月、引退前に旧国鉄色に塗装され話題となり、結果として引退が延びるとともに、他の気動車の塗装変更のさきがけにもなりました。廃車後は阿字ヶ浦で海水浴客向けの更衣室として使われましたが、映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影のため搬出され、解体されました。
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キハ112
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1980年に真岡機関区から入線した、元国鉄キハ1125。復元された国鉄色、バス窓・オリジナル台車も含め’00年代前半においては営業可能な唯一のオリジナル車体のキハ10系として大変貴重な存在でした。現在は大宮の鉄道博物館に収蔵されています。
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キハ113
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1980年に真岡機関区から入線した、元国鉄キハ1126。旧国鉄色に塗装変更され、1996年3月にJR東海に譲渡されました。現在はリニア・鉄道館にて保存されています。
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キハ2004
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1968年入線の元留萌鉄道の同番号車。閉山によりお役御免となった僚友の2005、湘南窓の1001・1002・1103の5両が北海道から入線し、当時の旧型車を置き換えています。ワンマン対応化改造を受けており、車端部座席のロングシート化、出入台の仕切の撤去等が行われています。元羽幌炭鉱鉄道の車両と比較すると耐寒装備は比較的軽いものに留められています。キハ11(新)の導入により廃車になり、保存のため搬出されました。
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キハ2005
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2004と同様、1968年入線の元留萌鉄道の同番号車。踏切事故での損傷の復旧工事の際に、合わせて腐食した車体裾部分の外板の取換など丁寧な補修が行われ、ベンチレータの交換等も実施されました。塗装も他の車両と若干異なる塗り分けの茨城交通色となった後、国鉄急行色に塗装されました。キハ11(新)の導入により廃車になり、阿字ヶ浦に置かれています。
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キハ221
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1970年入線の元羽幌炭鉱鉄道の同番号車。ワンマン化改造を受けておらず、出入台の仕切壁もそのままでした。。羽幌炭鉱鉄道当時の塗装に復元されてイベント運行された事もありましたが、新車増備により廃車となり、阿字ヶ浦留置の後に解体されました。
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キハ222
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1970年入線の元羽幌炭鉱鉄道の同番号車。閉山によりお役御免となった僚友の221・223と供に合計3両が北海道から入線し、当時の旧型車を置き換えています。本州の気動車には珍しい運転室旋回窓のいかつい顔が特徴。デッキ付き二重窓と耐寒装備テンコ盛りの車両でしたが、キハ223と供にワンマン化改造を受けており、出入台の仕切壁は撤去され車端部はロングシート化されており、二重窓も撤去されていまいました。キハ11(新)の導入により廃車になり、阿字ヶ浦に置かれています。
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キハ223
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キハ222と同様、1970年入線の元羽幌炭鉱鉄道の同番号車。こちらもワンマン化改造を受けており、出入台の仕切壁は撤去され、車端部はロングシート化されており、二重窓も撤去されていました。北海道2社からの転入車は全て、客室に扇風機が設置されていないのも特徴で、昔は夏の海水浴輸送時には窓を全開にして3〜4両で走る道産子気動車の姿が見られました。廃車となり羽幌色に塗装され保存のため搬出されました。
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キハ201
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元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2002、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、新車の導入で余剰車両となり、廃車された後、キハ111の代替の海水浴客向けの『無料更衣室』車両として、阿字ヶ浦駅構内に留置された後にキハ221と一緒に解体されました。
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キハ202
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キハ201等と同様元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2003、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、新車の入線と生徒数減少による編成短縮(従来4両→3両→2両)などから、余剰となり、解体されました。
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キハ203
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キハ201等と同様元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2001、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、現在は廃車され、首都圏色に塗装・国鉄時代の旧番号を標記のうえ那珂湊に留置されています。鹿島臨海鉄道時代に存在した汚物処理装置付きのトイレは、汚物処理装置は撤去の上、車内の扉を閉鎖されています。
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キハ204
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キハ201等と同様元は鹿島臨海鉄道が開業時に導入したキハ2004、その前は国鉄キハ20。1992年に鹿島臨海鉄道の新車導入により余剰となっていたものを導入しました。朝のラッシュ時の増結用として運用されていましたが、廃車となり解体されました。キハ201〜キハ204の4両は鹿島鹿島臨海鉄道導入時に移設された前照灯が外観上の大きな特徴です。
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ケハ601
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新潟鉄工が試作したステンレス車体の気動車を購入したものです。他のキハ10・20系列の気動車とは総括制御はできませんでした。車体のみが那珂湊駅の外れに置かれており、『おらが湊鐡道応援団』のギャラリーとなっています。
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キハ1103
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キハ2004・キハ2005及びキハ1001・1002とともに留萌炭鉱の閉山により不要となったものを購入した気動車です。廃車後しばらくは那珂湊駅に留置されていました。那珂湊で解体されました。
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ケキ102
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新潟鉄工製のロッド式機関車で、元々は茨城交通茨城線用として導入されたものです。ひところのイベント運行の主役でもありました。ほぼ同型の機関車には、やはり湊線で活躍したケキ103と、ストーブ列車で名高い津軽鉄道の2両の機関車があげられます。個人に売却され、北陸ロジスティクスの伏木ヤードに長らく置かれていましたが、石川県河北郡内灘町の『ホリ牧場夢ミルク館』で保存されることになりました。
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ホキ7
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通常那珂湊に留置されている、バラスト散布用の車両で、東武鉄道から譲り受けたもので、車籍はなく機械扱いです。茨城交通は昼間にバラスト散布を行えるような列車間合いはありませんし、営業列車の退避も不可能ですので、バラスト散布は夜間に線路閉鎖をかけての作業となるので機械扱いでも不自由はないのだろうと思われます。
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ホキ8
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ホキ7と同様、通常那珂湊に留置されているバラスト散布用の車両です。1999年5月に阿字ヶ浦でのイベントで展示された翌日に、他の展示車両であったホキ7とキハ221との編成で阿字ヶ浦から那珂湊まで、ケキ102の牽引で白昼堂々回送された事がありますが、これは非常に珍しい例で、昼間本線上に現われる事はほとんど無い車両です。
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トラ15
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東武鉄道から譲り受けた無蓋車です。ケキ102と連結しての展示などのイベントが行われた事もありましたが、車籍も無く、使用実績もほとんどありませんでした。売却されています。
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トラ16
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東武鉄道から譲り受けた無蓋車です。車籍も無く、使用実績もほとんどありませんでした。売却されています。
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モーターカー
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保線用のモーターカーです。除草作業などの場合はこの車両がタンク車を牽引する場合が多いようです。
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除草剤タンク車
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97式軽貨車の荷台部分に除草剤用のタンクを搭載し散布用のノズルを取り付けた茨城交通御手製の作業用車両、通常は那珂湊に留置されています。その形態は年を追って変化しています。
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97式軽貨車
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那珂湊の車庫に7〜8台車分は存在すると思われる戦前生まれの軍用簡易車両。軍用として国内標準の1067mm以外のゲージにも対応可能な機構を備えてます。
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