鹿島鉄道の車両のページ

車両番号

車両画像

記 事

キハ431

 東急車両が加越能鉄道向けに新製した16m級の気動車キハ125で、同時期の東武キハ2000形と類似している。加越能鉄道加越線廃止後、他の気動車4両とともに関東鉄道入りし、同型のキハ432(キハ126)とともに当時の関東鉄道鉾田線に配された。
 運転席直近に乗降扉の有るワンマン化に適した車両構造であり、鹿島鉄道最初のワンマン対応形式となった。廃線時の塗装は緑の金太郎塗りだった。
 
昭和32(1957)年 11月落成(東急車両・加越能鉄道キハ125)
昭和47(1972)年 加越能鉄道加越線廃止
昭和48(1973)年 関東鉄道鉾田線入線(キハ431)
昭和62(1987)年 ワンマン化
平成19(2007)年 3月31日鉾田駅にて廃線を迎える
平成19(2007)年 鹿島鉄道記念館にて保存

キハ432

 キハ431と同様の出自で、元加越能鉄道のキハ126である。
 塗装は関東鉄道標準の朱とクリームのツートンから、鹿島鉄道標準色となったKR−500型と同様の細帯6本の塗装、朱とクリームのツートン、朱とクリームの金太郎塗りと変遷している。
車体が短いため冷房の室外機(別エンジン駆動)の設置スペースが足りず、廃線に至るまで非冷房であった。
 
昭和32(1957)年 11月落成(東急車両・加越能鉄道キハ126)
昭和47(1972)年 加越能鉄道加越線廃止
昭和48(1973)年 関東鉄道鉾田線入線(キハ432)
昭和62(1987)年 ワンマン化
平成19(2007)年 3月31日常陸小川駅にて廃線を迎える
平成19(2007)年 小川南病院はるるの郷にて保存

キハ601

鹿島鉄道廃線当時、全国最古の現役気動車。引退時の車齢は71であった。
 
昭和11(1936)年 10月落成(鉄道省キハ42032・川崎車輌)
昭和25(1950)年 天然ガス動車に改造(国鉄キハ42205)
昭和26(1951)年 機関をDMH17に換装(国鉄キハ42538)
  昭和32(1957)年 称号改正によりキハ0729
昭和40(1965)年 鹿島参宮鉄道入線(キハ42503)
昭和47(1972)年 車体更新(切妻化)キハ601となる
昭和62(1987)年 ワンマン化・非貫通化
平成 6(1994)年 冷房化
平成19(2007)年 3月31日鉾田駅にて廃線を迎える
平成21(2009)年 12月24日ほっとパーク鉾田に移設

キハ602

 石岡入りは鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道が合併した関東鉄道発足後であり同型のキハ601よりやや遅い。車体長は僅かだがキハ601と相違する。

昭和12(1937)年 3月落成(鉄道省キハ42036・大宮工場)
昭和25(1950)年 天然ガス動車に改造(国鉄キハ42207)
昭和26(1951)年 機関をDMH17に換装(国鉄キハ42531)
    昭和32(1957)年 称号改正によりキハ0732
昭和41(1966)年 関東鉄道鉾田線入線(キハ42504)
昭和47(1972)年 車体更新(切妻化)キハ602となる
昭和62(1987)年 ワンマン化・非貫通化
平成 6(1994)年 冷房化
平成19(2007)年 3月31日石岡駅にて廃線を迎える
平成19(2007)年 5月石岡駅にて解体

キハ714

 新潟鐵工所が夕張鉄道向けに製作したキハ251。北海道最初の液体式気動車だった。扉配置が適さないためか廃線までワンマン化はされなかった。ワンマン化されたキハ600型を除けば唯一残った20m車であり、朝の通勤通学列車にキハ600型との2連で運用され、冷房化も施工された。

昭和28(1953)年 11月落成(夕張鉄道キハ251)
昭和32(1957)年 車内を転換クロスシートに改装
昭和49(1974)年 夕張鉄道旅客営業廃止
昭和51(1976)年 関東鉄道鉾田線入線(キハ714)
昭和52(1977)年 車内をロングシートに改装
平成 6(1994)年 冷房化
平成19(2007)年 3月31日常陸小川駅にて廃線を迎える
平成19(2007)年 鹿島鉄道記念館にて保存

KR−501

 石岡南台駅の開業と区間列車の増発に合わせて導入された、鹿島鉄道として唯一の新製形式。導入当初は紫・橙等3色の細帯計6本を巻いた塗装だった。2000年代になると紫の2本帯となった。沿線の中学・高校が組織するかしてつ応援団の「がんばれかしてつ」の塗装を纏い、廃止が決定した2007年の最後の数ヶ月は「ありがとうかしてつ」のデザインで走った。

平成 元(1989)年 5月落成(新潟鐵工所)
平成19(2007)年 3月31日常陸小川駅にて廃線を迎える
平成19(2007)年 鹿島鉄道記念館にて保存

KR−502

 KR−501と同時に増備された。登場当初は当時の鹿島鉄道の標準色となった細帯6本の塗装だったが、2000年代になって赤の2本帯に変更された。4人掛けボックスシート×8と、車端に運転室側3人掛け、反対側6人掛けのロングシートを配するセミクロスシート車。ジャンパ栓受は鉾田方。

平成 元(1989)年 5月落成(新潟鐵工所)
平成19(2007)年 3月31日石岡機関区にて廃線を迎える
平成19(2007)年 4月解体

KR−503

 KR−501・2の導入から1年おいて導入された2次車。
 当初はKR−501・2と同様の鹿島鉄道標準色だったが、2000年代になって同型車と同デザインで色違いの2本の緑帯の塗装となった。

平成 3(1991)年 12月落成(新潟鐵工所)
平成19(2007)年 3月31日石岡機関区にて廃線を迎える
平成19(2007)年 4月解体

KR−505

 KR−503導入の翌年に増備された4両目のKR−500型。4を忌み番として嫌い、ひとつ飛ばしてKR−505と付番された。廃止時には鹿島鉄道最新の気動車だった。塗装は他社と同様に2000年代に入って鹿島鉄道標準色から2本帯に改められている。KR−505の帯色は青であった。

平成 4(1992)年 12月落成(新潟鐵工所)
平成19(2007)年 3月31日鉾田駅にて廃線を迎える
平成21(2009)年 12月24日ほっとパーク鉾田にて保存

DD902

 国鉄DD13形ディーゼル機関車の同型車。台車が異なり、車重も若干軽く仕上がっている。
 長く鹿島鉄道の屋台骨を支えた、航空自衛隊百里基地への航空燃料輸送に従事し、航空燃料輸送終了後も、ただ1両残って保守用列車・イベント列車の牽引に働いた。晩年は朱色に白線の塗装とされた。
廃線を前に売却された。

昭和42(1967)年 落成(日本車両)
平成19(2007)年 売却(日本製鋼室蘭製作所)

DD13171

 航空自衛隊百里基地への航空燃料輸送のため追加導入された国鉄DD13。
 ぶどう色に白ラインの旧標準色からグレーと赤のディーゼル機関車の新標準色に変更され新製当初から塗られたグループのトップナンバ。
 航空燃料輸送の終了により廃車後、常陸小川から予備エンジン等とともに搬出され、その後は中国に輸出された模様だが行方不明。

昭和38(1963)年 落成(汽車会社)
昭和60(1985)年 国鉄品川機関区にて廃車
昭和61(1986)年 鹿島鉄道入線(車両の到着は昭和60年中)
平成14(2002)年 休車
平成15(2003)年 廃車

DD13367

 航空自衛隊百里基地への航空燃料輸送のため追加導入された国鉄DD13。
 300番台に区分され、台車等が一部異なり減速比も若干異なる。
 航空燃料輸送の終了後廃車となり、DD13171と共に常陸小川から搬出され、一時行方不明となった後、中国のネットオークションに出品されたとのことだが、その後についても不明。

昭和42(1967)年 落成(汽車会社)
昭和62(1987)年 水戸機関区にて廃車
昭和63(1988)年 鹿島鉄道入線
平成14(2002)年 休車
平成15(2003)年 廃車

キハ411

昭和 9(1934)年 3月落成(鉄道省キハ41077・新潟鐵工)
昭和23(1948)年 天然ガス動車に改造(国鉄キハ41209)
昭和27(1951)年 機関をDMF13に換装(国鉄キハ41309)
   昭和32(1957)年 称号改正によりキハ0410
昭和33(1958)年 廃車・国鉄長野工場で保管
昭和34(1959)年 常総筑波鉄道常総線入線(キハ41005)
昭和40(1965)年 常総筑波鉄道筑波線入線
昭和45(1970)年 関東鉄道鉾田線入線
昭和47(1972)年 片運転台化・総括制御化他改修(キハ411)
昭和58(1983)年 休車
昭和61(1986)年 廃車
平成 2(1990)年 さくら第2保育園で保存
平成17(2005)年頃 解体

キハ412

●昭和 8(1934)年 12月落成(鉄道省キハ41050・日本車輛)
昭和25(1950)年 機関をDA55に換装(国鉄キハ41504)
昭和27(1951)年 機関をDMF13に換装(国鉄キハ41323)
   昭和32(1957)年 称号改正によりキハ0424
昭和33(1958)年 廃車・国鉄長野工場で保管
昭和34(1959)年 常総筑波鉄道常総線入線(キハ41006)
昭和38(1963)年 常総筑波鉄道筑波線入線
昭和45(1970)年 関東鉄道鉾田線入線
昭和47(1972)年 片運転台化・総括制御化他改修(キハ412)
昭和58(1983)年 休車
昭和61(1986)年 廃車
平成 2(1990)年 さくら保育園で保存
平成17(2005)年頃 解体

DD901

 日本車両の試作ディーゼル機関車。国鉄での試験終了後に返却されたものを常総筑波鉄道が購入し常総線で使用。合併による関東鉄道成立後、鉾田線に移動し、航空燃料輸送等に従事。「カバさん」の愛称で知られる。

昭和30(1955)年 落成(日本車両)
昭和32(1957)年 国鉄借入・試験運用(国鉄DD421)
昭和33(1958)年 国鉄借入終了・除籍・返却   
昭和33(1958)年 常総筑波鉄道購入(DD901)
昭和47(1972)年 機関・変速機換装(DMF31・DB138)
昭和49(1965)年 関東鉄道鉾田線入線
昭和63(1988)年 廃車
平成12(2000)年 常陸小川駅構内保管中に再塗装
平成19(2007)年 常陸小川側線にて解体

1号機関車

 鹿島鉄道が開業に際して準備した蒸気機関車。

大正12(1923)年12月20日認可
大正13(1924)
 5月 5日竣工届提出
大正14(1925)年 9月21日自動連結器取付竣工届提出
昭和12(1937)年12月 1日廃車届提出

 廃車後1938年に日本カーバイド工業魚津工場に譲渡。
 車籍を富山地方鉄道に置き、専用線での入換等に従事。
 1969年に廃車。
 1970年に保存場所である当時の魚津市立村木小学校に寄贈された。
 現地では『チャコ』という愛称で呼ばれ、村木小学校の廃校後も地域住民の手により定期的な清掃等がなされている。

2号機関車

 鹿島鉄道が開業に際して準備した蒸気機関車。

大正12(1923)年12月20日認可
大正13(1924)年 5月29日竣工届提出
大正14(1925)年 9月21日自動連結器取付竣工届提出
昭和12(1937)年12月 1日廃車届提出

 廃車後1938年に日本カーバイド工業魚津工場に譲渡。
 車籍を富山地方鉄道に置き、専用線での入換等に従事。
 1969年に廃車。
 1970年に保存場所である当時の滑川市児童館に寄贈された。
滑川市児童館は近隣地に移転したため、現在は行田公園に隣接する旧児童館跡地にそのまま単独で置かれている。前照灯等一部灯具類が欠損。

 


 

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