日立電鉄の歴史のページ
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期 日 |
記 事 |
1927年(昭和 2年) 7月30日 |
常北電気鉄道株式会社設立総会 |
1928年(昭和 3年) 1月29日 |
着工 |
1928年(昭和 3年)12月27日 |
大甕〜久慈(久慈浜)間開業 |
1929年(昭和 4年) 7月 3日 |
久慈〜常北太田間開業 |
1940年(昭和15年) 3月30日 |
大甕〜日立間敷設免許申請 |
1942年(昭和17年) 5月22日 |
大甕〜日立間免許 |
1943年(昭和18年) 3月 |
モハ9・10導入(新製) |
1944年(昭和19年) 3月15日 |
大甕〜鮎川間着工 |
1944年(昭和19年) 7月31日 |
日立電鉄に社名変更 |
1947年(昭和22年) 9月 1日 |
大甕〜鮎川間開業 |
1948年(昭和23年) 5月 |
モハ13〜モハ16入線 |
1948年(昭和23年) 7月 |
モハ11・12導入(新製) |
1956年(昭和31年) 2月 |
併合閉塞施行 |
1966年(昭和41年) 6月 |
自動閉塞化完了 |
1969年(昭和44年) 3月 |
CTC化 |
1971年(昭和46年)10月 1日 |
ワンマン運転開始(大甕〜常北太田間・昼間) |
1974年(昭和49年)12月31日 |
貨物営業廃止 |
1991年(平成 3年) |
新型車(2000・2200・3000形)導入開始 |
1995年(平成 7年)11月 |
ATS導入 |
1997年(平成 9年) |
新型車増備終了(3027) |
1997年(平成 9年) 5月 5日 |
旧型車引退(最後まで残存はモハ10・14、最終運行はモハ10) |
2003年(平成15年)10月16日 |
沿線自治体に廃止計画を文書で申入 |
2003年(平成15年)10月28日 |
日立・常陸太田両市、日立電鉄に継続維持の要望書提出 |
2003年(平成15年)12月 9日 |
県北地区高校PTA連絡協議会・県高校長協会県北地区校長会、存続要望書提出 |
2004年(平成16年) 1月31日 |
日立電鉄線の維持存続をもとめる高校生徒会連絡会(ちん電守ろう会)結成 |
2004年(平成16年) 2月18日 |
日立電鉄取締役会で廃止を機関決定 |
2004年(平成16年) 2月21日 |
日立電鉄線の維持存続を考えるフォーラム開催(ちん電守ろう会) |
2004年(平成16年) 3月 8日 |
日立市樫村市長、市議会で公的支援は困難と表明 |
2004年(平成16年) 3月 8日 |
常陸太田市、市議会で日立電鉄と存続協議の意向 |
2004年(平成16年) 3月19日 |
常陸太田市議会「日立電鉄線の存続に関する意見書」全会一致で可決 |
2004年(平成16年) 3月23日 |
沿線高校生徒会代表と県、両市との懇談会開催 |
2004年(平成16年) 3月23日 |
日立市議会「日立電鉄線存続の指導および支援対策の意見書」否決 |
2004年(平成16年) 3月23日 |
日立電鉄、株主総会で鉄道事業廃止を報告 |
2004年(平成16年) 3月26日 |
日立電鉄、国土交通省に廃止届出書提出 |
2004年(平成16年) 8月16日 |
常陸太田市、新(代替)事業者募集開始 |
2004年(平成16年) 9月 6日 |
常陸太田市、県外民鉄と条件折り合わず交渉断念 |
2004年(平成16年) 9月14日 |
県外民鉄(岡山電軌)が常陸太田市と再協議提案 |
2004年(平成16年) 9月15日 |
常陸太田市、新(代替)事業者募集打切り |
2004年(平成16年)10月21日 |
茨城県、運行試算(財政支援額)公表 |
2004年(平成16年)10月22日 |
常陸太田市、存続支援を断念 |
2005年(平成17年) 3月19日 |
廃線ヘッドマーク掲出運行開始 |
2005年(平成17年) 3月31日 |
廃止 |
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