日立電鉄の車両のページ

車両番号

車両画像

記 事

2001

 鮎川向きMc車で、Tc2212とペアを組んでいます。晩年は運用に入る事はほとんどなく、常北太田の3番線奥に留置されていました。MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1991年で、営団銀座線時代の車号は2067です。

2002

 常北太田向きのMc車で、Tc2211とペアを組んでいます。宝酒造の焼酎JIPANGのボディ広告となっていました。MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1991年で、営団銀座線時代の車号は2080です。

2003

 鮎川向きのMc車で、Tc2214とペアを組んでいます。現在は運用に入る事はほとんどなく、鮎川駅のいちばん奥に留置されています。MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1991年で、営団銀座線時代の車号は2069です。

2004

 常北太田向きのMc車で、Tc2213とペアを組んでいます。 MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1992年で、営団銀座線時代の車号は2066です。

2005

 鮎川向きのMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載している車両です。塗色は呑電日立号のボディ広告になっています。晩年は運用に入る事はほとんどありませんでした。入線は1992年で、営団銀座線時代の車号は2087です。

2006

 常北太田向きのMc車で、Tc2215とペアを組んでいます。塗色はビア電日立号のボディ広告になっています。MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1992年で、営団銀座線時代の車号は2118です。

2007

 鮎川向きのMc車で、Tc2216とペアを組んでいます。MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1993年で、営団銀座線時代の車号は2083です。

2008

 常北太田向きのMc車で、Mc2009とペアを組み、車内にカウンターとテーブルを装備した「ビア電日立号」仕様になっています。通常は大甕駅に留置されていました。MG・CP・バッテリー等を搭載している車両です。入線は1994年で、営団銀座線時代の車号は2130です。

2009

 大甕向きのMc車で、Mc2008とペアを組み、車内にカウンターとテーブルを装備した「ビア電日立号」仕様になっています。通常は大甕駅に留置されていました。MG・CP・バッテリー等を搭載している車両です。入線は1994年で、営団銀座線時代の車号は2063です。

2010

 常北太田向きのMc車で、Mc3026とペアを組んでいます。現在は運用に入る事はほとんどなく、常北太田の2番線奥に留置されています。MG・CP・バッテリー等は搭載していないため、2200 形(あるいはMG・CP・バッテリを装備した2000形の一部の車両)及び3000形との2連での運用が前提の車両です。入線は1994年で、営団銀座線時代の車号は2084です。

2211

 鮎川向きのTc車で、Mc2002とペアを組んでいます。宝酒造の焼酎JIPANGのボディ広告となっています。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。また、本車はフランジと塗油器も搭載しています。入線は1991年で、営団銀座線時代の車号は2079です。

2212

 常北太田向きのTc車で2001とペアを組んでいます。現在は運用に入る事はほとんどなく、常北太田の3番線奥に留置されています。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。入線は1991年で、営団銀座線時代の車号は2050です。

2213

 鮎川向きのTc車で、Mc2004とペアを組んでいます。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。入線は1992年で、営団銀座線時代の車号は2081です。

2214

 常北太田向きのTc車で2001とペアを組んでいます。現在は運用に入る事はほとんどなく、鮎川駅のいちばん奥に留置されています。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。入線は1991年で、営団銀座線時代の車号は2068です。

2215

 鮎川向きのTc車で、Mc2006とペアを組んでいます。塗色はヱビスビールのボディ広告になっています。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。入線は1992年で、営団銀座線時代の車号は2117です。

2216

 常北太田向きのTc車で2007とペアを組んでいます。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。入線は1993年で、営団銀座線時代の車号は2088です。

2217

 鮎川向きのTc車です。晩年は運用にはほとんど入る事が無く、久慈浜駅構内に留置されていました。MG・CP・バッテリー等を搭載しています。パンタグラフ及び主電動機・主制御器等走行関連の機器は持たず、2000形と2連での運用が前提の車両です。入線は1994年で、営団銀座線時代の車号は2065です。

3021

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。合理化のための全運用の2連統一化により、晩年は運用に入ることはほとんど無く、常北太田の一番東側の側線の一番奥に留置されていました。入線は1992年で、営団銀座線2086と2085を母体として改造されています。

3022

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。合理化のための全運用の2連統一化により、晩年は運用に入ることはほとんど無く、常北太田の一番東側の側線に留置されていました。入線は1993年で、営団銀座線2122と2121を母体として改造されています。

3023

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。合理化のための全運用の2連統一化により、晩年はMc3025とペアを組んでいました。車体はクリームとオレンジのツートンカラーの旧塗色となっています。入線は1993年で、営団銀座線2120と2119を母体として改造されています。

3024

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。合理化のための全運用の2連統一化により、晩年は運用に入ることはほとんど無く、常北太田の一番東側の側線に留置されていました。入線は1993年で、営団銀座線2098と2097を母体として改造されています。

3025

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。合理化のための全運用の2連統一化により、晩年はMc3023とペアを組んでいました。車体はクリームとオレンジのツートンカラーの旧塗色となっています。入線は1995年で、営団銀座線2096と2095を母体として改造されています。

3026

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。Mc2010とペアを組んでいます。晩年は運用に入る事はほとんどなく、常北太田の2番線奥に留置されていました。入線は1996年で、営団銀座線2076と2071を母体として改造されています。

3027

 両運転台のMc車で、MG・CP・バッテリー等を搭載し、1両での走行が可能な車両です。合理化のための全運用の2連統一化により、晩年は運用に入ることはほとんど無く、久慈浜駅構内に留置されていました。車体は地元の旅館の広告塗色となっています。入線は1997年ですが、車両の搬入自体は前年度には行なわれていたようです。

モハ10

モハ14

モハ16

 


 

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